神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。(ヨハネ3章16節) 

12月25日はクリスマスの日です。イエス・キリストがお生まれになった日です。でも、それよりもプレゼントを貰える日で、ケーキを食べる日になっています。私も子供の頃はそうでした。商店街を通ると、サンタクロースの赤い服を着た娘さんが、通りでクリスマスケーキを売っています。デパートの前には、大きなクリスマスツリーが立っています。 そして美しい照明が、暖かな雰囲気を醸しています。クリスマスって良いですね。そこで、雰囲気だけでなく、クリスマスの意味を考えてみましょう。

真紅のポインセチアが、この季節には売られます。イエス・キリストは十字架にかけられ死なれました。それは、私たちを罪から救うためでした。死をもって私たちの罪を贖ってくださったからです。贖いとは、罪の代価を払うことです。それが十字架の死です。それを示しているのが、血の色をしたポインセチアです。ヒイラギを飾るのは、キリストが被せられた茨の冠を示しています。イエスさまは生まれた時から、十字架の死に向かっておられたのです。では、クリスマスツリーは何を意味しているのでしょうか。もみの木は常緑樹で、一年中枯れない木です。枯れない=死なない、永遠の命をツリーは意味しています。言い換えるとイエス・キリストそのものです。木の先端に大きな星を付けますが、それは東方の博士たちを導いた星です。希望と喜びの星です。暗い世の中を明るく照らす、永遠の命である救い主イエス・キリストを示しているのです。

40年も前のクリスマスを、忘れることが出来ません。父が癌を患って入院中でした。死に瀕していました。家族で交代で看病をしたのですが、病院は古い木造で、歩くと床がぎしぎしと鳴りました。その日、賑やかで華やかな商店街のアーケードを通り抜け、暗く静まり返った病院に着きました。父の病室に向かう途中、誰かが大声で泣いていました。病気で亡くなった家族の泣き声でした。さっき通って来た商店街の明るさ賑やかさとは正反対です。父も翌年の早春に亡くったのですが、クリスマスの夜、お祝いもなく暗い部屋で過ごす人々がいることを忘れてはいけないと思いました。しかし、そんな暗い病室にもイエス・キリストは共に居てくださいます。私は、そこに限りない希望と慰めを見出します。   神は、その独り子イエスをお与えくださったほどに、世を愛された。世とはすべての人です。神を信じる人だけでなく、信じない人にも「最高の贈り物」を与えて下さったのです。

今日は12月25日(水)です。どのようなクリスマスを迎えておられますか?

補足として、クリスマスは今日から始まるのであって、今日で終わるのではありません。誕生されたイエスさまと一緒にクリスマスは始まるのだからです。