エリはサムエルに言った。「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話ください。僕は聞いております』と言いなさい。」(サムエル上3章9節)
この聖句は、「主よ、お話ください。僕は聞いております」と言いなさいと、年老いた祭司エリが少年サムエルに教えたものです。ひざまずいて、「主よ、傾聴しています」と言いなさい、と。忙しい日々の中で、このように神に向かう時間を持ちたいものです。
話を「きく」のには、聞くhearと、聴くlistenの2つがあります。傾聴は、心と思いを込めて相手に聴くことlistenです。何となく聞いているhearとの違いが、聞と聴の漢字にも表されています。しかし、人の話をそのように聴くのは、簡単ではありません。相手の言いたいことを黙って聴くのは忍耐が要るからです。特に家族に対しては難しいものです。
人との会話が成り立つためには、相手の話に対して、「そうだね」と先ず受け止めることです。最初から「それは違う!」と言ってしまうなら、会話はストップします。違うと思っても、「そうだね」と受け入れてから「でも、わたしは・・・」と、返します。英語ではYesと言ってからButです。最初からButと言い、更にButと言ってしまい易いからです。
何年も前に、傾聴ボランティア講座を受けました。午前の講義を聞いた後、昼食をしてから、午後は実践です。老人ホームが会場でしたから、そこに居るお年寄りに対して傾聴を実践します。会話を全部記録し、先生に提出します。実践してみて、いかに自分が相手に聴くよりも自分が話しているか、相手の気持ちに寄り添っていないか、が分かりました。その時、学んだ技術として、相手が言った言葉を繰り返すことです。例えば、「疲れた」と相手が言えば、「疲れたの」と返すのです。「大したこともしてないのに何が疲れただ」と言い返してはいけません。相手の言葉をオウム返しに「~なのね」と言います。
さて、冒頭の聖句ですが、神と人はつながっています。まず神に聴くことです。そうすると、神の助けで人の話が聴けるようになります。じっと耳を傾けると、その人の抱えている悩みなど、本心の声が届くようになります。まず相手の立場に立って聴くことです。その模範が主イエスです。主イエスほど、人の心に寄り添ったお方はいません。その主イエスに倣いたいものです。もし未だ、神が信じられないし、祈ったこともない方は、「主よ」ではなく、「~さん」と相手の名前に変えて、心の耳を澄ましてください。今までとは違った聞き方が出来、人間関係が良くなります。実践してみてください。