信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。(使徒言行録4章32節)

 どうしたら経済格差が無くなり、貧しくて生活に困窮する人が一人もいない社会になれるでしょうか。冒頭の聖句に続いて、信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである(4章34、35節)と、あります。この聖句に、そのヒントがあります。

例えば、お金や物を持っている人がその能力に応じて分け与え、必要としている人が必要な分だけ受け取れることです。原理は単純ですが、実行は難しいのです。心と思いが一つになれないし、これは自分の物だと主張するからです。それが現実です。それだけに、初代教会の分け合う姿は驚きです。

旧約聖書・申命記15章に、「もし貧しい同胞がいたら、あなたはその人に手を大きく開いて、必要とするものを十分に与えなさい。そのとき、心に未練があってはならない」と命じられています(7~11節)。分け合うこと、その障害になっているのが自我です。自分の物と考え、自分だけのものにしようとする自我です。それを取り除くのがイエス・キリストです。彼を信じる者は、自我に死んでキリストに生きるのです。

幼い兄弟が砂場で遊んでいました。弟は兄の持っているショベルカーが欲しいのです。でも兄は貸してくれません。そこでママに、「兄ちゃんが貸してくれない」と泣きつきます。するとその子のママは、兄にではなく弟に、「先に自分の物を分けなさい」と教えました。
「一体いつ、貧しい人の貧困は止むのですか?」と尋ねられたマザーテレサは、「あなたと私が分かち始めたその時です」と答えました。本当にそうした分かち合える世界(神の国)が一日も早く地上に実現しますように、と祈ります。(2022年1月19日)