私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すところなく語り告げます。(詩篇9篇1節)

このブログは、「ありがとう」を大きな題として始められました。読んでくださる方(今、このブログを開いてくださっている方)に感謝を伝えることと、すべての出来事の背後に働かれている主なる神への感謝を言い表したいからです。何でも当たり前に思っているなら、ありがとうの感謝は出ません。不平不満が先に立ってしまうものです。

「有り難う」を、当たり前に思っている自分の体の各器官に言う、一緒に生活をしている家族に言う・・・そうした中で決して忘れてならないのが、目には見えませんが絶えず見守り支えてくださっている、神さまへの感謝です。旧約聖書の詩編には、神への感謝が溢れています。冒頭の聖句もその一つです。「心を尽くして」主に感謝しています。心からのありがとうです。朝起きて顔を洗い鏡を見る時、「ありがとう」と語りかけてみましょう。更に、夜布団に入る前にも、「ありがとう」の祈りを口にしましょう。

使徒パウロは、どんなことにも感謝しなさい(Ⅰテサロニケ5章18節)、と勧めています。どんなことにもとは、嫌な辛い出来事や人間関係や病気等も含まれます。普通は感謝など出来ないことにも感謝するよう努めます。そうすると、不思議にすべてが良いことへと変わり始めます。それまで悪循環しているように思えたのに、反対の善循環のサイクルに移されます。これは本当です。目に見えないところで働かれる神が、あなたに良いこと、必要なことだけを与えられるからです。

誰にでも、することすべてがうまくいかない悪循環の轍に入り込む時があります。そのような試練の時、どうするかです。新約聖書の言葉、「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。(そして)、あくまでも忍耐しなさい」(ヤコブ1章2,4節)と勧められています。心から感謝しなさい、と言い換えられます。普通は、そんなこと無理と思います。でも、神の御言葉に従い、心から感謝し始めるなら、一つずつ変わり始めます。そして、善循環してゆきます。大事な点は、心からの感謝、神への感謝です。心からのありがとうです。