だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。(マルコ11章24節)
祈りと聞くと、「~してください」と祈願する(願い訴える)ことが、先ず思い浮かびます。それは神に請求書を差し出しているのと同じですから、請求書の祈りと言えます。それに対して、領収書の祈りがあります。
アサヒビールが経営危機に陥っていた時、会社を何とかするため社長として派遣されたのが樋口廣太郎氏。彼はキリスト者として祈ったのですが、「主よ、何とかしてください」ではなく、「主よ、感謝します。シェアが拡大し、社員とその家族全員が喜んでいます。お客様にも喜ばれています。ありがとうございました」と、既にそうなったと祈り続けました。必ずそうなると信じ、既に結果が出たかのように領収書の祈りに徹しました。すると、社員が奮起して新商品である「アサヒスーパードライ」が生み出され、売り上げは増大しました。会社の危機は救われたのです。領収書の祈りの一実例です。
冒頭の聖句は、「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」です。これが、結果を先取りする領収書の祈りです。先に領収書を差し出すのは現実的ではないでしょうが、主イエスはそうされました。ヨハネ福音書11章に、死んだラザロを主イエスがよみがえらせる奇跡が記されています。墓の前で、イエスは、「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します」と、感謝を口にされてから、「ラザロよ、出て来なさい」と大声で叫ばれました。すると死者がよみがえったのです。父なる神への絶対的な信頼から、既にそうなったと信じて、結果が出る前に感謝をされたのです。それが領収書の祈りで、信仰から出る祈りです。
切なる願いを請求書の祈りとして祈ると同時に、その祈りは既に聞き届けられたと信じる領収書の祈りをしたい。そうする時、神の偉大な力がそこに働き、祈ったとおりになります。(2021年12月11日)