今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。(詩編118編24節)
日日是好日という言葉があります。毎日が好い日、素晴らしい日だという意味ですが、毎日が良い日ばかりとは限りません。
あるサラリーマンの話。朝寝坊をしてしまい、あわてて家を飛び出します。いつもの電車に間に合わず、会社に遅刻。上司から小言を言われつつ、会議に必要なものをカバンから取り出そうとしたら、家に置き忘れて来たのに気付いた。最悪!こんな日もあります。そのような時、どう前を向くか、です。
冒頭の聖句は、「これは主がつくられた日である。われらは歓呼し、主を喜ぼう」とも訳されています。前述のような最悪と思える日もあります。そんな時、この聖句を思い出し、口ずさみたいものです。♪この日は この日は 主がつくられた 主がつくられた、われらは喜ぼう この日をば…♫ 最悪に思える今日という一日も、神さまから与えられた一日です。物事がすべて順調にいく日もあれば、何をしてもうまくいかない日もあります。そのどちらも、主があなたのために造られた一日です。もし最悪の日を喜べたら、それ以外の日はもっと喜べます。その秘訣はイエス・キリストにあります。
2節前に、「家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった」とあります。この石は、十字架にかけられたイエス・キリストのことです。隅の親石は建物の要(かなめ)です。その石が無ければ、建物は崩れてしまいます。キリストは人に捨てられ、十字架で死なれました。最悪の日と言えます。しかし、そのことによって建物はしっかりと組み合わされたのです。それは人間の目には驚くべき事と記し、冒頭の聖句に続いています。
「今わたしは眠ろうとしています
今日はとてもよい日でした
神さまは わたしをほんとうによく思いやり
わたしに多くの喜びを与えてくださいました
わたしを守り、恵みを与えてくださいました
今日はとても楽しい一日でした。」 (アーベル・ブルクハルト)
このように祈ることを、眠る前の習慣にしたいものです。どんな日も好い日、日々是好日だからです。(2021年10月13日)