しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたには…。  (マタイ6章29、30節) 

ウイリアム・ブレイクは、小さなものの中に広がる無限に大きな世界を謳いました。 

一粒の砂に世界を見、      To see a World in a Grain of Sand
一輪の野の花に天を見る。   And a Heaven in a Wild Flower
あなたの掌に無限を捉え、   Hold Infinity in the palm of your hand
ひとときの中に永遠を見る。 And Eternity in an hour
(「無垢の予兆」より) 

冒頭の聖句は主イエスの言葉ですが、一輪の野の草の中に、ソロモンの栄華に優る輝きを見ています。今日は生えていても、明日には抜かれて炉に投げ込まれる野の草。無用の雑草として扱われる、はかない存在だとしても、神は愛の眼差しで見ておられるのです。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、と主イエスは語られ、「何を心配し、思い煩うのか。信仰の薄い者たちよ」と、戒めてもおられます。

どこにでもある一粒の砂、誰も気に留めない一輪の野の草を、そのような眼差しで見ている。ささやかな毎日の、何気ない中に豊かな世界と永遠の神を見ることができるのですね。ここに、信仰の世界があると教えられました。前述のブレイクの詩を初めて読んだ時、深い思いになりました。このような視点、眼差しこそ主イエスからのものです。そのような眼差しの中に、あなたも私も包まれているのです。(2021年10月1日)