そこに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。(ヨハネ5章5,6節)
病気の人に「良くなりたいか」と尋ねるのは、愚問のようですが、主イエスは「本当に良くなりたいのか」と、本心を尋ねておられるのです。どんな人でも38年間も病気が治らないと、どうしても諦(あきら)めが出てきます。福音書を読みますと、ご自分を求めて来る人に主イエスは、「何をしてほしいのか」と言い(マタイ20章32節)、更に、「私にできると信じるか」と尋ねています(同9章28節)。
冒頭の人は、「誰も私を手助けしてくれる人がいないので、他の人が癒されています」と答えました。私は独りで、誰も助けてくれないから、と人のせいにもしているのです。同じく私たちも願ったことが得られないと、すぐ人のせいにしがちです。そして、愚痴や人の陰口を言い、どうせ私なんか駄目な人間だ、を口にします。そんな態度の人に、主イエスは優しいが厳しく、「(自分の足で)起き上がりなさい」と言われたのです。
人の助けを当てにして、誰も~してくれないと不平を言うのを止めなさい。「私はいつもあなたを助けますが、良くなると信じて、自分の足で立とうとしなさい。立ち上がる力は、立とうとした時に与えられます」と、主イエスは語りかけたのです。すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出したのです(ヨハネ5章9節)。
虫メガネで太陽の光を1点に合わせると、そこに熱が集中して燃え上がります。神に何かを願う場合も同じです。心からの願いを明確にし、決して人のせいにせず、神から与えられる力を信じ、自分で立ち上がろうとすることです。そこに導くために、主は「良くなりたいか」と問われるのです。私はこの言葉に、何度もハッとさせられます。主から託された私の人生です。何歳であっても本気で良くなりたいと願い、主イエスに頼れば出来ると信じて、立ち上がりたい。何度、失敗したとしても。(2021年8月31日)