主イエス御自身が「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。(使徒言行録20章35節)

主イエスは、「受けるよりは与える方が幸いである」と言われました。そうだなと思いつつも、それとは反対の、「あげるよりも、もらう方が幸い」と考えてしまいます。

幼い兄弟がそれぞれのおもちゃで遊んでいます。弟はお兄ちゃんが持っているおもちゃで遊びたいのです。でも、お兄ちゃんはそのおもちゃを貸してくれません。そこで、近くのママに訴えます。大抵のママは、兄に「貸してやりなさい」と言います。お兄ちゃんなんだから、譲ってあげなさい、と。そうではなく、欲しがっている弟に向かって、「それじゃあ、自分が一番気に入っているおもちゃを、先にお兄ちゃんに貸してあげなさい」と言ったママがいます。もらいたいなら、先にあげなさい、と教えたのです。そうすると、お兄ちゃんは喜んで貸してくれたそうです。

聖フランシスコに由来する「平和の祈り」をご存じでしょうか。本当の平和はどこから来るのかを示した祈りとして知られています。その後半の部分を、引用します。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者に、理解されるよりも理解する者に、
 愛されるよりも愛する者にしてください。なぜなら、与えることによって受け取り、
 忘れられることによって見出し、許すことによって赦され、死ぬことによって永遠の命に生れることができるからです。」(訳文は幾種類かあり、言葉が多少違います)
この祈りを生きるなら、分かってくれないと言う前に、では自分は相手を分かろうと努めたかと、自分中心から相手や神様を中心にする考え方に変えてくれます。

暗いと不平を言うのなら、あなたが進んで明かりを灯すのです。人に求める前に、自分を与える側に置くことです。相手がしてくれないのなら、裁いたり文句を言うよりも、黙って自分がすれば良いのです。この気付きによって、気持ちが大変楽になりました。
もう一度、冒頭の聖句を味わいます。主イエス様は、私たちを救うために、ご自分のすべてを与えて与えて与え尽くされました。まさに「受けるよりは与える方が幸いである」を生きた御方です。その主イエス様に倣いたいものです。(2021年8月23日)