私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(Ⅱテモテ2章8節) 

いつも思い考えていることが、もしお金儲けのことばかりだと…、不安なことや心配なことばかりだと…、どうでしょう。勿論、そのことばかり考えているわけではないでしょうが、その人がいつも何を考え、求めているかで生き方は大きく左右されます。左右される以上で、支配されもします。

冒頭の聖句に、イエス・キリストを、いつも思っていなさい、と勧められています。でも何となく漠然としてしまいます。主イエスさまを、より明確に思い描けないからです。そんな私ですが、創世記のヨセフ物語の主人公ヨセフのことを思うことが、イエス・キリストにつながると分かりました。ヨセフのことを考えていると、いつの間にか気持ちが前向きになっていくのです。明るい方に向かっていることに気付いたのです。どんなに辛く苦しいことが続いたとしても、忍耐しようと言う気になるのです。それは、ただ耐え忍ぶだけの忍耐ではなく、神を信じて待てる忍待になり、更には、すべてを神に任せ、希望を持って待つ任待へと変えられるからです。

人から受けた被害や傷を忘れることは、大変難しいことです。しかしヨセフは、恨みや憎しみに囚われて、後ろ向きの暗い生き方をしませんでした。むしろ、神を信じて前を向いたのです。神はすべてを最善に変えてくださるから、死さえ終わりではなく命につながると信じたのです。そこに、死からよみがえったイエス・キリストがおられるます。ヨセフが地下の牢獄から出され、これ以上ない高い地位にまで引き上げられたことも、イエス・キリストと同じです。人として陰府の底にまで降られ、そこから地上に復活し、更には天上へと引き上げられたキリストは、ヨセフと重なります。いつもヨセフとキリストを思っていたいものです。そうすると、主イエスがあなたを悪い思いや欲望に支配されることから、あなたを守ってくださいます。(2021年8月10日)

(蛇足)ヨセフは今から3700年前、聖書の舞台であるイスラエルに生まれました。17歳の時、エジプトに奴隷として売られ、冤罪で牢獄に入れられたり等、辛酸をなめた末、エジプトの総理大臣にまで引き上げられた人です。