夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」と言った。(使徒言行録5章19、20節)

 『100分de名著』というテレビ番組で、ブラッドベリ著『華氏451度』が取り上げられました。華氏451度は摂氏233度で、紙が自然に発火する温度です。紙=本のことで、主人公の仕事は本を焼くことです。テレビが出始めた60年前のSF小説ですが、今の時代にも通じる内容に驚かされます。登場人物の中に、名も無き老女がいて、本を燃やそうとする主人公の前に立ちふさがります。そして、自ら本と共に焼け死ぬのです。本に殉じた最期でした。その場面に、私は胸をつかれました。更に、聖書が燃やされるのを防ぐべく、その身を殉じる人にも同じ思いを抱きました。

冒頭の聖句は、どんな迫害に遭っても、命の言葉である福音を語るようにと弟子たちに命じた天使の言葉です。命(いのち)の言葉と呼ばれているのは2つの理由からです。
1つは、キリスト信仰は命(神の命である永遠の命)を与えるからです。もう1つは、それを宣べ伝えるには「命を懸ける」覚悟が求められるからです。イエス・キリストとその福音を記した聖書には、それ程の価値があります。聖書は単なる書物ではなく、いのちの言葉だからです。前述の番組を見た夜、自問自答しました。「聖書と、その中心であるイエス・キリストに殉じる気持ちがあるか、自分の命を懸けても(賭けても)惜しくないか」とです。そのとき、私の魂に燃えるものが蠢(うごめ)くのを感じました。

私はちょっとしたことで気持ちが揺れ動いたり、心配や不安に心を騒がせる弱い者です。もし、主イエスを信じ頼る信仰がなかったら、幾度も挫折する惨めな日々を送っていたでしょう。しかし、真理である聖書があり、どんな者をも無条件で包んでくださるイエス・キリストの愛が注がれています。それゆえ、私は喜んで身を殉じたい。いざとなると退いてしまうかも知れないとしても。 (2021年6月25日)