諺(ことわざ)に、「悪事千里を走る」があります。その意味は、善い行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪いことをしたという評判はあっというまに世間に知れ渡り、遠方までも広がるものです。聖書にも似たことが書かれています。次のようです。
「もし、だれかが、聖別された肉を衣の裾に入れて運んでいて、その裾がパン、煮物、ぶどう酒、油、そのほか何かの食物に触れたとする。これらのものは聖別されるだろうか」。祭司たちは答えて、「されない」と言った。ハガイは言った。「もし、死体に触れて汚れた人が、これらのものの何かに触れたとする。これらのものは汚れるだろうか」祭司たちは答えて、「汚れる」と言った。(旧約聖書ハガイ書2章12、13節)
これは、聖なる清さは伝わらないが、汚れはすぐに伝わることを教えています。確かに、善いことは人に伝わりにくいのに、悪いことはあっと言う間に伝わる現実があります。苦労して善いことを教えても、ちょっとした不注意から、悪口を言ってしまうことがあります。すると、たちまち悪口が千里も走り出します。人間は罪人だと実感します。
格言や諺は長い歴史から編み出されたもので、聖書にもそれがあります。旧約聖書の箴言がそれです。そこに、「陰口を言う者の言葉はごちそう。腹の隅々に下って行く」(箴言18章8節・聖書協会共同訳)とあります。陰口とは、その人のいない所で言われる悪口のことです。それは、美味しい食べ物=ごちそう、だとあります。
ある人が電車に乗っていました。すぐそばに女子高生のグループが楽しそうに話していました。駅で一人が降りると、降りたその人の悪口が始まるのに気づきます。また次の駅で一人が降りると、降りた人の陰口が始まったと言います。そして、続きがあります。後で、あなたの悪口を誰々が話してたよ、と告げ口してくれるのです。そうした陰口やスキャンダル話は美味しい食べ物のようで、つい「そうそう」と相づちを打ってしまうのです。では、どうしたら良いのでしょうか。
私にはコミュニケーション不足があり、そのため陰口を言われることがあります。それが、回り回って本人に届きます。だから、陰口は言わない。言うのなら、ほめ言葉を陰で言いたいものです。更に、陰口を言われたら、自分を見直す機会(チャンス)にしたいものです。悪事千里を走るとしても、神はすべてを益に変える力と知恵をお持ちですから、そこに救いがあります。(2021年6月11日)