愚か者は自分の道を正しいと思う。
しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。(箴言12:15)
人はいつも正しいとは限りません。それなのに、愚かな人ほど自分は正しいと思っています。だから、人の忠告や勧めに耳を傾けられないのです。反対に知恵ある人は、たとい自分と考えの違う意見であっても、その人の言葉に耳を傾けます。その意見を吟味し、その方が正しいと思えば、自分の考えを退けて聞き入れるのが知恵ある人です。これがなかなかできないのです。その意味でも私は自分が愚か者だと、実感することが多いです。人の忠告に耳を貸さず、自分の道を突き進んだ結果、途中に潜んでいた落とし穴に落ちることがしばしばだからです。後で、人の忠告を聞き入れるべきだった、と悔やむことが多い愚か者です。
では、なぜ素直に聞き従えないのでしょうか。それは一言でいえば、心の高慢さです。人は皆、誰もが間違うことは認めていながら、秘かに自分だけはそうではないはずと、心のどこかで思っているのです。誰にも自惚れと高慢さが多少はあるのです。
聖書には、忠告に耳を傾けなかったため、国を分裂させた王がいます。偉大な王ソロモンの息子レハブアムです。ソロモン王が死んで、代わって王となったレハブアムに民衆は、「父上が私たちに課した過酷な労働と税を軽くしてほしい。そうしてくだされば、私たちは王様にお仕えします」と訴えます。王は「3日待て」と言います。そして、父に仕えていた長老たちに相談します。すると、彼らは「もし、あなたが今日この民の僕となり、彼らに仕えてその求めに応じ、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでも王様に仕えるでしょう」と助言します。これは正しく、とても良い忠告でした。ところが、王はこの長老たちの忠告を聞き入れませんでした。国民に仕える僕(公僕)よりも、権力で抑えつける方を選んだのです。その結果、愚かにも国を二分してしまいます。旧約聖書の列王記上12章に記されていますが、昔の他人事とは思えないのです。
コロナ禍が深刻な状況になっている今、7月に予定されているオリンピック開催の是非が問われます。それは、前述の「忠告に耳を傾ける」姿勢と関係するのではないでしょうか。(2021年5月14日)