勇気を持て。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない。(歴代誌上 213節)

ある精神医学者には大学の医学生時代から大切にしてきた思い出がある。「私が大学二年生の時、ある特別講義の最中、一人の学生が立ち上がり極めて初歩的な質問をした。教授は、『馬鹿げた質問だ!』と答えた。顔を赤らめた学生は着席したが、クラスで最優秀な学生の一人が手を挙げた。より知的なコメントや質問を期待し、教授は彼を指名した。この学生はこう切り出した。「教授、このクラスに馬鹿な学生などいません。確かに私たちは無知かもしれません。しかし、それこそが、私たちがここで学ぶ理由です。彼とクラスに対して謝っていただきたいのです。」そう言った瞬間、他のすべての学生が拍手した。その結果、教授は授業を続ける前に謝罪した上、注意してくれた学生にも感謝した。教授に直言した学生も立派だし、自らの誤りを認めた教授も立派です。

しかし、こういう場面は日本では考えにくいです。私もいろんな大学や高校でゲストスピーカーとして講演したり、非常勤講師として大学で1学期教えたことがありますが、日本人の学生は慎重で「馬鹿げた質問」を絶対にしません。日本人の学生は「こんな初歩的な質問をしたら馬鹿にされるのではないか」と警戒し、授業中に手をあげて質問せず、授業が終わってから個別に質問に来ます。たいがい良い質問です。おそらく多くの学生が同じ疑問を持つであろう質問で、授業中に質問してほしかったなぁ、というパターンが大半です。

学生には「馬鹿げた質問」をする勇気、教授が暴言を吐いたらそれを公然と授業中に批判する勇気を持ってほしいです。そして教授には間違いを素直に誤りを認める勇気が必要です。「人を傷つける言葉」を避ける賢明さ、「人を癒す言葉」を発する勇気を持ちたいものです。以上は、ある学校教師から聞いた話です。

ここで冒頭の聖句を読みます。これは偉大な王ダビデが、自分に代わって王に即位した息子ソロモンに語った言葉です。王として言うべき事は恐れずに語り、耳を傾けるべき時は謙虚に聴き、どんな困難や危機にも勇気を持って立ち向かうよう忠言ました。そして、素晴らしい王として国を平和と繁栄に導きました。私たち日本人は、とかく人の顔色を見て、勇気や正しい判断を見失うことが多いのではないでしょうか。(2021年5月3日)