ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。(雅歌2章11,12節)

「季節のない街」と歌われる大都会の東京、小さくはあっても季節感はあります。四季折々の花が咲き、花屋の店先の光景も変わります。そんなことからも、冬から春へと季節の移り変わるのが分かります。しかし、私にとって忘れられない春の喜びがあります。

東北の山形県に13年住んだことがあります。瀬戸内の温暖な気候しか知らなかった私にとって、雪国の冬は初めてのことばかりでした。雪の片づけなど大変な重労働が毎日続きました。教会の敷地や建物の屋根に積もった雪の処理など、雪の降らない地に育った私には想像すらできない事でした。最初の冬がそろそろ終わる3月、ある方のお宅を訪問しました。私が土地の者でないことを知っているその方から、「初めての冬は大変だったでしょう。でも、もう春になります」と言われた言葉と、耳元に聞こえる雪解けの音(一日中、屋根から雪解けの水が雨だれのように樋を伝って落ちる音)、そして、窓から見える景色の変化(積もった雪が太陽の熱で消えて行き、陽炎が立ち上るのが見えました)に春の喜びを体感しました。長い冬を耐えて、春を迎える喜びでした。

冒頭の聖句を読むと、その時の光景が目に浮かびます。そこには、春の喜びが歌われています。雪が解けると、それを待っていたかのように一斉に花が咲き出します。水仙も3月に咲きます。小鳥のさえずる声が聞こえます。生命がよみがえるように思えます。人間だけでなく、動物も植物も雪解けの春を待っていたことが分かります。春の陽光を浴びながら目を閉じ、自分の中でいのちが躍動したのを覚えています。

コロナ禍で閉じ込められている私たちも、それが雪解けのように消え去ると、解放された春の喜びとなります。それがいつになるのか、今はまだ分かりませんが、それでも「もう春ですね」。私の魂を冬の寒さに閉じ込めていた罪(三浦綾子姉は罪を「氷点」と表現)から解放してくれたのが、イエス・キリストです。その愛の熱によって、そして、自らが犠牲となることによって、罪から解放し、春の喜びを与えてくれたのです。感謝のほかありません。(2021年3月9日)