人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10章10節)

1859年、チャールズ・ブロンディンという綱渡りの達人がニューヨーク・タイムズに一本の広告を打ったという。なんとナイアガラの滝に一本の綱を通して、そこを渡るのだとか。高さは50メートル、長さは335メートルの細い綱だ。約5000人の見物人が訪れた。彼は集まった観衆を前にして問いかけた。「私がこの綱を無事に渡って帰ってこられると信じる人は何人いますか?」観衆は拍手で彼を信じることを示した。彼は見事綱の上を渡って帰ってきた。

彼はまた観衆に問うた。「私が無事手押し一輪車を押して渡って帰ってこられると信じる人は何人いますか?」観衆はまたも拍手で信じることを示し、そしてまた彼もか細い綱の上を無事、手押し一輪車を押して帰ってきた。そして彼はまた問うた。「私が誰か人を背負ってこの綱を渡って帰ってこられる、と信じる人は何人いますか?」観衆はまたも拍手で彼を信じていることを示した。手押し車もできたのだから、彼なら人一人くらい背負って歩けるだろう。

ブロンディンは今度は続けてこう問うた。「ではあなた方のうち、誰が私の肩に乗りますか?」これにはさすがに誰も応えなかった。先ほど5000人のうち、ほぼ全ての人が彼を信じていると言ったにも関わらず。もし、ここで誰も彼を「信じなかったら」、彼の名前は永久に消えていたことだろう。だが、長い沈黙の後、ただ一人、5000人の観客の中から名乗り出るものがいた。ブロンディンの親友だった。ブロンディンは彼の親友を肩に見事ナイアガラの上に架かる綱を渡り終えた。こうしてブロンディンは人間をかついでナイアガラの滝を綱渡りした世界で最初の人になり、そしてまた彼の親友も、かつがれてナイアガラの滝を綱渡りした世界で初めての人になった。この実話には「信じること」の本質が示されています。もしあなたが観衆の一人だったとしたら、彼の肩に乗りますか?

冒頭の聖句を見て下さい。心で信じるなら、次にすべきことは、自分の口で言い表すことです。「イエス様は私の救い主(キリスト)だと信じます」と。そうすれば救われます。そして、更に信じたキリストに自分の身を任せることです。それは、ブロンディンの肩に乗ることに例えられます。彼に命を任せることだからです。(例えが適切でないと思われるかも知れませんが)もしそれが出来たら、あなたの人生はキリストによって変えられて行きます。キリストを信じることは素晴らしいことの始まりなのです。(2021年3月3日)