祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「なんの権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。…ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。」(マタイ21章23~25節) 

質問には質問で答える、それがイエス様のやり方です。直ぐに答えないのは、相手が何を知ろうとして質問しているのかを知るためです。冒頭の聖句は、その一例です。特に、悪意ある質問の場合、主イエスはこのやり方をされています。神からの権威でしている、と答えたなら、窮地に追い込まれるからです。そこで、相手が答えに窮するであろう質問を返しているのです。イエス様に質問を返された祭司長らは、互いに相談し合いました。「どう答えたら良いだろうか」と。その結果、「分からない」と返答します。それを聞かれた主イエスは、「それなら、何の権威でしているのか、私も言わない」と返答されました。

悪意のある質問だけではありません。相手の真意を知るために、質問で返すやり方は知恵ある答え方です。子どもから「~が欲しい」と、ねだられた時にも応用できます。「どうして、~が欲しいの?」と返します。すぐに、善い悪いと答えるよりも賢明です。イエス様がいかに対話の妙手であったかです。私も真似てみようと思うのですが、つい、直ぐに返答してしまっています。それでも悪くはありませんが、このやり方を身に付けたいと願っています。

オレオレ詐欺に引っかからない秘訣としても、このやり方は有効です。だまそうと考えている相手の要求に対して、直ぐには答えず質問で返すことです。そうすると一呼吸の間が空き、相手の真意が分かるようになります。そんなことを思っている昨今です。
あなたはいかがでしょうか。(2021年2月24日)