光を造り、闇を創造し 平和をもたらし、災いを創造する者

わたしが主、これらのことをするものである。(イザヤ45章7節)

コロナウイルスをばら撒き、多くの人を苦しめ死なせているのは誰の仕業でしょうか?悪魔サタンだとします。神は光と平和の神だが、悪魔は悪と災いで人を不幸にし苦しませるから。そうだとして、では神はなぜそれを阻止しなかったのか、との疑問が出て来ます。いわば黙認しているからです。悪魔も神の許しがなければ、勝手に人間を苦しめたり、殺すことはできないからです。こんなに長くコロナ禍が続くとは、誰も予測だに出来ませんでした。そんな今、こうしたコロナ禍を聖書は何と言っているのでしょうか。

冒頭の聖句を見て下さい。聖書の神は、闇と災いを創造する者です。私たちに良きものである光と平和を与えるだけではないのです。これは驚きです。善いものは神から来、悪いものは悪魔から来るとする(善悪二元論)は分かり易いですが、そこには解決と救いはありません。それに対して、光も闇も、平和も災いも神から来る(善悪一元論)と教えるのが聖書です。すべての出来事の根源におられるのが神だからです。「災いも、幸いも いと高き神の命令によるものではないか」(哀歌3章38節)とあります。

コロナウイルスは、悪魔が人間の罪深さを巧みに操作して、世界中に蔓延させたものと考えられます。その背後に神が立っておられます。コロナによって私たちは試されています。政治家に於いては、平時には分からなかった人間性があぶり出されています。国民のことを本当に考えて政治を司っているのか、国民のことよりも自分の権力や地位の安定を最優先にしているのかを、コロナはあぶり出します。政治家だけではありません。私たちも試みられているのです。皆が感染を恐れて、お互いを疑いと不信の目で見がちだからです。愛がどんどん冷えています。闇はますます深くなっています。

人間の罪深さは自然破壊に見られます。企業は利益追求の余り、神が創造された豊かな自然を破壊し、汚染させています。悪魔とは、人間の貪欲+悪徳の姿で、常に高慢です。それを警告するためにコロナ禍があるのではないでしょうか。それゆえ、「御国が一日も早く来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも」と祈らずにはいられません。(2021年2月5日)