して、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカ15章20節)

九州のある小学1年生の女の子お話です。
ある日、学校から家に帰ると、お父さんから「今日の宿題は?」と尋ねられます。「今日はね、誰かに抱っこしてもらうこと」と答えた女の子を、お父さんは「よ-し」と言ってすぐに、しっかり抱いてやりました。その後も、お母さん、お祖父さん、ひいおばあさん、お姉ちゃん2人に次々と抱っこされました。翌日、学校から帰って来た女の子は、6人に抱っこしてもらった自分が一番だったとお父さんに報告します。「皆、してきたんだんね」と聞くと、「ううん、何人かしてこなかった。先生が、してこなかった人は前に出なさいと言って前に出たんだ。そしたら先生が、一人ひとりを抱っこしたんだよ」。宿題をしてこなかった子どもたちを叱るでもなければ咎めるでもなく、親の代わりに抱っこしてくれた先生の姿に、私は心温まる思いがしました。(渡辺和子姉の著書より)
コロナ禍の今、抱っこはできないでしょうが、素敵な宿題を出す先生ですね。

冒頭の聖句は、親不孝で迷惑ばかりかける放蕩息子が家に帰ってくると、父は走り寄って抱きしめます。息子は落ちぶれ果て、裸足(はだし)です。豚小屋で働いていたので、その臭い匂いが鼻につんと来るほどでした。しかし、父は抱きしめました。このような姿で戻って来ると分かっていたかのようです。これは例え話ですが、実際にあった話だったかも知れません。息子は恐らく、このようにして父親が迎えてくれるとは思いもしなかったでしょう。それゆえ胸が一杯になり、心から詫びたことでしょう。

最初に記した小学1年生の教室に戻ります。宿題をしてこなかったため、前へ出るようにと言われた生徒は、まさか先生に抱きしめられようとは思いもしなかったでしょう。誰からも抱っこして貰えなかった生徒を思い遣り、先生は憐れに思い、走り寄って抱っこしたに違いありません。愛は人を生かします。愛の反対は憎しみではなく、無関心です。誰もが自分のことで忙しく、子どものことまで気持ちが及ばないのでしょう。
そこに、両手を広げて走り寄る神イエス・キリストがおられます。(2021年1月24日)