いつも喜んでいなさい。 (Ⅰテサロニケ5章16節)
動物と人間の違いが、笑いにあります。犬や猫を長年飼いましたが、怒った表情や悲しそうな様子は見ますが、人間と同じ笑顔を見たことはありません。そのことからも、笑いは神様からの賜物と言えます。笑顔は喜びから出て来るものだからです。

昨年二月に生れた孫のことですが、生まれたばかりの時は、抱き上げても無表情でした。それが2カ月すぎたある日、私を見てニコッと笑ったのです。抱いている私が誰なのか分かったようで、何か心が通じたようで忘れられない喜びでした。一つの笑顔、微笑みが、人をこんなに幸せな気持ちにしてくれることを知りました。
冒頭の聖句、いつも喜んでいなさい、です。時々、良いことがあったら喜べますが、いつも、ではありませんね。むしろ不平不満の方が、いつも出やすいものです。聖書には、主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。(フィリピ4章4節)とも命じられています。それが出来る鍵は、「主において」です。主イエス・キリストの中で(in)喜びなさいと勧められているのです。どういうことでしょうか。

イエス・キリストは信じる者の心の中に命の聖霊として、生きて働かれています。だから、いつも喜べるのです。たとえ、失敗ばかり、何も成し遂げなかったような私でも,その生涯を終える時、主イエスが私を見てニコッと微笑まれ、「忠実な僕よ、よくやりました」と、両手を広げて迎え入れてくださるのを、私は時々、夢見ます。主の御顔の笑みこそ、私がいただく最上の報いだからです。

話が飛ぶようですが、クリスマスに歌われる「きよしこの夜」という讃美歌。その3番の歌詞に「きよしこの夜 御子の笑みに 恵みの御代の 明日の光輝けり ほがらかに」とあります。赤ちゃんイエス様が御子(神の子)です。薄暗い家畜小屋の飼い葉桶に寝かされたイエス様が、父や母を見てニコッと微笑まれた。ただそれだけなのに、恵みに満ちた明日の光が、ほがらかに輝くのです。コロナ禍の今、イエス様の喜びと笑みに明るい希望を見たいものです。(2021年1月10日)