ゆがみは直らず 欠けていれば、数えられない。(コヘレト1章15節)
自分の性格を直したい、欠点を少なくしたいと思ったことはありませんか?簡単には直らないとしても、何とかならないかと多くの人(統計によると全体の70%)が思います。
20代の頃、①「愚かな人は、すぐに怒りをあらわす。しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない」(旧約・箴言12章16節)を読んで、恥ずかしく思いました。短気だったからです。
冒頭の聖句は、人間性や性格のことを言っています。真っ直ぐでなく、歪んだ性格は直らない。欠点は数えないこと、と読めます。性格の違う男女が結婚し夫婦となります。自分とは違う相手を変えようとします。でも変わらないことに気づく、そこでどうするか。ありのまま相手を受け止める以外にない。愛は忍耐強い・・・と始まり、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える(新約聖書・Ⅰコリント13章)とあります。始めも終わりも忍耐です。聖書が言う「愛」は、この世で言われる「愛」とは随分違います。
ここからは、以上に述べたのとは反対のことを記します。私たちは変われるからです。イエス・キリストを救い主と信じ、口で言い表すなら、聖霊(神の霊)が与えられます。聖霊は信じる人の中に生きて働く命です。聖霊が命としてその人の中で働き始めると、今まで変わらなかったものが変わり始めます。すぐに怒っていた短気さが、聖霊によって忍耐強くされ、上記の聖句①と同じく賢い人のように、はずかしめをも気に留めないでいられるようになります。それは自分の力によってではなく、聖霊の力が働くからです。とはいえ、まだまだ途上です。失敗もします。でも、確実に変えられていきます。
どのように変えられていくのか。次のようにです。(聖)霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和・平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。(ガラテヤ5章22,23節)9つの実を全部備えているのが、イエス・キリストです。一番は愛です。愛されることよりも愛することを求める人に、いつも喜び、人との平和と自分の心の平安を、相手に対して忍耐強い寛容さを、どんな人にも親切であること、悪意ではなく善意で受け止め、相手がどうであれ誠実であること、柔和で謙遜、自分をコントロールできる人に、変えられて行くことです。変わらないはずの性格が、イエス・キリストに似た者に変えられ続けるのです。それは自分や相手を、あるがままに受け入れる時、愛が働くからです。そんなことに気づくようになりました。(2020年8月12日)