そればかりでなく、苦難をも誇りとします。(ローマ5章3節)
患難をも喜んでいる(口語訳)だと分かる気がしますね。患難とは病気や苦難と言ったものです。それさえ喜ぶことができます。しかし、誇ると言うのは、言い過ぎに思えますが、決してそうではないことをお伝えしたいのです。
Eテレ番組に「パラマニア」があります。体に障害を持ちながらもトップ・アスリートである方々を紹介しています。両手の無い人が、足と顎だけでアーチェリーの矢を放つのです。彼の足は手のように動きます。訓練の結果ですが、見ていて、凄いと思ってしまいます。彼は、自分には両手がないが、不幸だとは思わない、と言います。彼だけではありません。番組に登場する方々は、驚くべき力を発揮しています。義足のまま走り幅跳びをする姿。片足が無くても自転車を漕ぐ人の姿。目が見えなくてもサッカーをする人たちの姿など・・。
その番組を見て、冒頭の聖句が理解出来ました。苦難や患難を喜ぶこと以上で、それに耐え抜いた自分を誇る、正確に言えば、自分を誇るのではなく苦難そのものを誇っているのです。尋常ではありませんが、そこにキリスト信仰の素晴らしさ、力強さが示されています。障害をマイナスに受け止めない。自分は不幸だ、と惨めに思ったりしません。
三重苦のヘレン・ケラーは奇跡の人と呼ばれます。目が見えず、耳が聞こえず、話すこともできないヘレン。彼女を教え導いたのがアニー・サリバン先生。アニー自身が奇跡の人だったと言われますが、どん底から不死鳥のように立ち上がった人です。彼女によってヘレン・ケラーは障害を乗り越えることが出来ました。そして、世界中の人に希望を与えました。障害があろうとも、それをバネにして飛躍できるのです。彼女らの秘訣はキリストにあります。光であるキリストによって、障害を乗り越え、光輝く人生を送ったからです。
人として私たちは、つい人と較べて劣等感などに悩みます。私もそうです。もっとこうだったら良かったのに、と。いいえ、皆それぞれ素晴らしい賜物が与えられています。欠点や障害があっても、苦難をも誇る生き方が出来ます!(2020年7月6日)