イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手に委ねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23章46節)
一日を一生として生きるのが、一日一生です。朝、目覚める時が誕生で、夜、眠りに就く時が死です。同じような毎日が繰り返されますから、私たちは何となく生きてしまいます。そうではなく、今日が最後だと考えて一日を過ごすのです。一日一生は英語では、Live this day as if it were your last(今日があなたの最後であるかのように生きなさい)です。
内村鑑三は『一日一生』のまえがきに、次のように書いています。
「一日は貴い一生である。これを空費してはならない。そして、有効に一日を使用する道は、神の言葉を聴いてこれを始めることにある。一日の成敗は、朝の心持(こころもち)いかんによって定まる。朝起きて、まず第一に神の言葉を読んで、神に祈る。こうして始めた一日の戦いは、勝利とならざるをえない。たとえ敗北のごとく見えても、勝利は疑いない。そして、このような生涯を終生継続して、一生は成功をもって終わるのである。」
「朝起きると、まず神に挨拶し、聖書を読み、祈って一日を始めなさい」と、20歳の時に勧められました。私はその勧めに素直に従い、実行し始めました。それから半世紀になりますが、今もそれを続けています。これ以上に大きな恵みは他に見出せまません。
日中、色々な事があり、失敗や失言、トラブルなどが起きます。心騒がせたり、傷ついたりします。ストレスや人への悪感情を引きずることもあります。しかし、それを翌日まで持ち越さないことです。それには、心を整え、綺麗にしておく必要があります。それが冒頭の聖句の祈りです。
この聖句は、十字架上の主イエスが最期に口にされた言葉です。眠る前に、その言葉を口にして良いのです。主に倣う生き方だからです。一日が終わり、様々な思いが交錯しますが、次のように祈ります。「主よ、今わたしは眠ろうとしています。あなたは私を思い遣って下さり、多くの喜びを与えて下さいました。今日はとても良い一日でした。父なる神さま、私の霊をあなたの御手に委ねます」と。 たとえストレスばかりの一日だったとしても、こう祈ってみました。次の日、爽やかな朝を迎えることができました。祈りの言葉が眠っている間に、私の心を癒し、新しい力で満たしてくださったと分かりました。(2020年7月1日)