2羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その1羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちる事はない。(マタイ10章29節)
近くの紅葉山公園にカルガモがいて、10日ほど前に9羽の雛が生まれました。その雛と、それを見守る母鴨の姿が愛らしく、私は毎日、公園に出かけています。数日後、公園の中の道を歩く親子の姿を見かけました。早速スマホで動画撮影しました。まさか目の前で、こうした光景が見られるとは思ってもみないことでした。わくわくしながら、鴨の親子の後を追いました。
1984年ですから36年前になりますが、大手町にある三井物産ビルの屋上に造られていたプラザ池にカルガモの親子がいました。それが向かいにある皇居の和田倉堀へ引っ越しを始めたのです。その時の光景がテレビで全国放映され、人気を呼びました。私もテレビで、母鴨の後に付いて歩く雛たちの姿を見ました。ほほえましい思いでした。それと同じ光景を、目の前に見られるとは・・。感激でした。
毎日公園で、雛の数を数えます。9羽確かにいる、と。そして気付いたのが、私と同じように毎日、鴨の親子を見に来る人がいることです。毎日、顔を合わせますから、お互い見ず知らずであっても親近感を抱いて、鴨談義を始めます。池の傍の岩の上に、もう2羽、大人のカルガモがいます。その1羽がお父さん鴨かも。ではもう1羽は何だ?三角関係か?それとも・・・と推測話をしました。毎年、ここで見ている人は、今は9羽いるけど、カラスに襲われたりして1羽か2羽しか生き残れない、と話してくれます。そう言えば、今日、雛を数えると、8羽でした。1羽いない!
翌朝、池に1羽の雛の死骸らしきものが浮いていました。枯枝で引き寄せ、死骸を土に埋めました。何が原因で死んだのか分かりませんが、生き抜くことの大変さを実感しました。今はコロナウイルスが敵かも知れませんし、事故や内在していた疾患による発病かも知れません。いつか私たちも死を迎えます。今、生きていられることを当たり前と思わず、生かされていると感謝したい。雛の死骸を埋めながら、「しばらくだったけど、楽しませてくれて有り難う」と、祈りました。(2020年6月18日)