あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、
欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、
清い者には、清い者となり、
ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。(詩18編25、26節・口語訳)
私たちは毎日、鏡を見ます。自分の顔や姿を映すのが鏡だからです。鏡に映った自分を見て、髪や姿勢を直し整えます。では心を映す鏡ってあるのでしょうか。上記の聖句を見て下さい。あなた=神です。神は鏡のようの御方です。慈しみに生きる人には、慈しみとなります。無垢な人には無垢に、清い人には清い人としてふるまわれます。反対に、心が曲がり歪んだ人には、同じになられるのです。神の言葉である聖書は、私たちに対して鏡となります。身の回りに生じる出来事や、人との関係にも同じ原理が働いています。聖書の深い読み方とは、そこに自分の姿を映し見ることです。そして、正されたり、悔い改めるのです。礼拝讃美歌399番に、♫みふみ(御文=聖書)の鏡に わが身を映さば 心聖められ 歩みは正されん…♪とある通りです。とはいえ、そのような読み方は導きが必要です。
「山びこ」をご存じでしょう。山の頂上で声を出すと、反響して出した言葉が戻って来る現象のことです。ヤッホーと言えば、ヤッホーと返ってきます。バカーと言えば、お前もバカーと返ります。反対に、あなたは良い人ねと言えば、あなたも良い人ね、と言葉が戻って来ます。相手に投げかけた言葉や思いが、山びことなって戻って来るのです。必ずそうなるので「法則」と呼ばれます。山びこの法則です。怒りや憎しみを投げかけると、怒りや憎しみが倍にも増して戻って来ます。反対に、微笑めば微笑みが返ります。だから、良い思いや言葉を投げかけることです。そのことを3ヶ月の孫から学びました。面と向かって「あおい君」と名前を呼ぶと、私を見てニコッと微笑みます。すると、私は何とも言えない喜びに満たされます。心がほっこりとなります。
どんな時も、人生にイエス(肯定)と言いましょう。辛く苦しい時こそ、ユーモアと微笑みを返しましょう。人生に無駄なことは何一つないからです。神はすべてのことを働かせて益に変えてくださるからです。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しているなら、必ず事態は好転します。必ずです。
毎朝、聖書という鏡に我が身を映しましょう。そして、悔い改めと同時に、微笑みと感謝と賛美を周囲に発信しましょう。そうして1日の終わりには、今日は楽しい日でした、喜びをいただきました、と感謝して眠りに就く習慣を持ちたいものです。