薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク
ナニゴトノ不思議ナケド
薔薇ノ花
ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレド木ヨリコボルル
光リコボルル  (北原白秋)

バラの木にバラの花が咲くのは、何の不思議もない「当たり前」のこと。しかし、そこに命の不思議さを見るとき、花弁が木よりこぼれ落ちる=こぼれるように光が溢れます。

詩人の目は、そのように見るのですね。

それと似た詩(ウイリアム・ブレイク作)を引用します。

一粒の砂に世界を見、
一輪の野の花に天国を見る
あなたの掌(てのひら)に無限を捉え
ひとときの中に永遠を見る

地上の小さな砂粒、一輪の野の花から、無限の世界(宇宙や天国)を見ています。

主イエスは、野の花を指さして、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の1つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6章29節)と、言われました。そして、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな」と、教えられたのです。

ただ花を見るのではなく、その奥にある「いのちの不思議さ」を感じ、「天国」を垣間見る者でありたいですね。更には、主イエスが教えられた「今日は生えていても、明日は切り取られて炉に投げ込まれる、はかない草花でも」神は見捨てることなく、ソロモンの栄華に優る装いで飾ってくださるのです。そうした野の花とは、私のことだと気づかされます。
すると、とてもうれしくなり、生きる力が湧いてきます。    (2020年5月17日)