あなたは、受けようとしている苦難を恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。……10日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。(黙示録2章10節)

今年の2月、表題の映画を見ました。主人公のフランツは、悪しき指導者ヒトラーに、右手を挙げて忠誠を誓うのを拒否します。自分の良心と信仰のゆえに、どうしてもできなかったからです。第二次世界大戦の最中のことで、それは命懸けの行為でした。周囲の者から、誓いは形だけで良いんだ、そうした方が皆の為でもあるんだと諭されても、彼は拒否します。そのため逮捕され、牢獄に投げ込まれます。そこで、拷問にも遭い、苦しめられます。また、「お前1人が抵抗して誰の為になる?」とも言われます。残された妻と3人の子どもたちも、村の人たちから陰湿ないじめに遭います。それでも彼は、ヒトラーに勇敢に立ち向かいました。

この映画を観て、私は苦しみに遭うとすぐに挫けてしまい、ここまでは信念を貫けないと思いました。フランツの考えたことは正しいのです。ヒトラーは悪魔の化身のような男だったからです。彼が率いるナチスは人種差別をし、考えられない悪行と殺戮を行ないました。なのに誰も彼に「ノー」と言いませんでした。わが身の危険を犯してまでも言う勇気がなかったのです。死に至るまで忠実であることは、いつの時代でも簡単ではありません。

今の安倍政権に見られる現実は、うそを平気で言い、周囲の者は誰も「それは違います」と本当のことを言わない。もし言えば、その地位を失いかねないからです。権力者に忖度(そんたく)し、白を黒と平気で言い通す。これは日本だけではありません。そんな時代だからこそ、この映画が作られたのです。勇気をもって不正に「ノー」と言える人が必要です。 

主人公は死刑になりますが、処刑された時刻に、教会では村の人たちに鐘を突いて知らせます。すると、辛く当たっていた村人たちも彼の崇高な死に敬意と哀悼を示します。36年の生涯でした。それから70年を経て、彼は聖人として認められ、映画化されるまでになりました。ナチスという凶暴な権力の下に踏みにじられたかに見えたフランツでしたが、死に至るまで神に忠実だった彼は、天に於いて命の冠を与えられたのです。世の中は、彼のような「名もなき生涯」を送った忠実な信仰者によって、実は支えられているのです。