日本語の中で一番美しい言葉の1つが「ありがとう」です。
漢字にすると、「有り難う」。有ることが難しい、めったにない、の意味です。
有り難う=感謝です。では、「有り難う」の反対語は何だと思いますか?
感謝の反対は不平不満ですが、その根にあるのが、「当たり前」です。してくれて当たり前、するのが当然、そこに「ありがとう」は出て来ません。「当たり前」が「ありがとう」の反対語です。
家庭の中で根強いのが、この当たり前です。夫婦の場合、妻が料理するのは当たり前、夫が職場で働くのは当たり前。子どもが勉強するのは当たり前・・・と沢山の当たり前で満ちています。だから、他の人には「ありがとう」と言えても、家庭ではそうでないわけです。
更に、自分の体に対しても同じであると気づきます。心臓は休むことなく鼓動しています。肺も休むことなく呼吸しています。もし、疲れたから休みをもらいたい、と止まったらどうでしよう。年中無休で、24時間休みなく働き続けています。それなのに、私たちはそれが当たり前だと思っていて、感謝の言葉「ありがとう」を言いません。しかし感謝されなくても、黙って働き続けています。そのことに気付きました。
それ以来、1日が終わり、眠る前に手を体の上に置いて、「ありがとう」と言うようにしています。私たちは眠ります。休みが必要だからです。でも、神が創造された私たちの体(内臓や脳)は不眠不休です。そしてそこに、神の姿が示されています。
旧約聖書に、見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方(詩編121編4,5節)と、書かれています。まどろむことなく、眠ることもなく24時間体制で見守ってくださっているのが、聖書の神です。
私たちは神さまのことを、いつも考えてはいないでしょう。忘れている場合が多いかも知れません。しかし神は、そうではありません。絶えず見守ってくださっています。
多くの危険や誘惑に満ちた時代でも、この神の守りは変わりません。何と有り難いことでしょう。それなのに何と「当たり前」と受け取っていることでしょう。だから不平不満が多いのです。当たり前の中に、ありがとうを見出し、感謝できる人になりたいものです。