ひとりよりもふたりが良い。 共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。 倒れれても起こしてくれる友のない人は不幸だ。 (コヘレト4章9,10節)

独り暮らしのため、孤独死で世を去る人が増えている。子どもが自立し、夫婦二人だけの世帯では、上記コヘレトの言葉は実感を伴う。友と訳された原語は、直訳すると「第2の」。仲間・相棒の訳もある。夫婦のどちらか=パートナーと理解したい。2人で労苦し取り組む最大の報いは、成し遂げたことを互いに喜び合えること。ご主人が脳梗塞や心筋梗塞で倒れたら、奥さんが助ける。独り暮らしだと、それが出来ない。そして、惨めな孤独死になる。統計では、年間3万人以上が孤独死している。コロナの影響で訪問できなかった、と悔やむ例もある。孤独の解決はどこに?

コヘレトは冒頭の聖句に続けて、次のように記す。

更に、ふたりで寝れば暖かいが ひとりではどうして暖まれようか。 ひとりが攻められれば、ふたりでこれ対する。 三つよりの糸は切れにくい。 (4章11,12節)

冒頭の聖句が死に関するなら、これは結婚に関するもの。ただ戦国武将の毛利元就が3人の息子に語った3本の矢の逸話が有名。1本の矢だけなら簡単に折れるが3本が1束になれば折れにくい、と兄弟3人の結束を遺言した。そして、コヘレトは夫婦2本の糸に更にもう1本の糸を合わせて、三つよりの糸にすることを言っている。結婚式に於いてこの聖句が読まれ、もう1本はイエス・キリストであると説かれる。矢ではなく、撚糸(よりいと)に例えています。糸は撚糸にすることで強度が増します。夫婦2本の糸に、キリストの糸を撚り合わせるなら切れ難い。相手との間に、お互いがキリストを見ること。これは家庭の話でもある。

キリストは我が家の主人(かしら)
日ごとの食卓の見えざる賓客(来客)
すべての会話の沈黙の傾聴者(聴き手)
Christ is the Head of this House
The unseen Guest at every meal
The Silent Listener to every conversation