知恵が深まれば悩みも深まり 知識が増せば痛みも増す。(コヘレト1章18節)
不思議な言葉です。知恵が増し深まれば悩みは消え去る、ではなく、かえって悩みも深まるとあります。様々な知識が増せば、痛みや悲しみも増す。これは、当時に知られていた諺のようです。コヘレトが言う「知恵」って何のことでしょうか。これを解く鍵は、コヘレトが多用している語「太陽の下」29回と「天の下」3回にあると思われます。
地上のことを彼は、太陽の下と呼び、天の下と言い換えています。そこに属するものは、すべて空しい!と。それは、逆のことを指し示しているのです。太陽の上、天の上を見ているのです。否定の否定は最大の肯定ですが、その手法がここにも示されています。そのことを新約時代のパウロは見抜きました。そして、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり…(Ⅰコリント2章6,7節)。この世の知恵=太陽の下、天の下で追い求められている知恵を指していて、人間の知恵と神の知恵が対比されています。
コヘレトは、誰にも勝って知恵と知識を深く見極めたが、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであって、空しく風を追うようなことだと悟った(1章16,17節)。これは、パウロが言った「この世の知恵」の空しさと同じです。一生懸命に追いかけても、風は捕えられないからです。文明が進み、科学技術や知識は昔を凌駕しています。今や、多くの知識をインターネットで得ることができます。その結果、心は平安か?冒頭の聖句の通りです。知識が増せば、悩みや憂いも増すのです。文豪と呼ばれた芥川龍之介や川端康成は、憂いの果てに自殺を選んでいます。コヘレトは私たちに、別の知恵と知識があることを伝えているのです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています(コロサイ2章3節)。キリストに導こうとしています。この世の神(2コリント4章4節)であるサタンは、真の神を排除し、人間が人間の力だけで造り上げた知恵と知識を追い求めさせています。それをコヘレトは「狂気であり愚か」と見抜きました。さすがです。