あなたのパンを水に浮べて流すがよい。
月日がたってから、それを見出すだろう。
(コヘレト11章1節)

パンを水の上に投げるのは、愚かなこと、無駄にする行為に思える。では、コヘレトは何を勧めている?流す=送り出すとも訳され、海上貿易や投資を表現している。そう読むこともできる。

①海上貿易。ソロモンは船団を編成して他国との貿易を盛んに行い、莫大な利益を得ている(列王上10章)。難船などの危険も伴うが、利益も莫大。損失を覚悟で送り出す。あるいは、リスクの多い投資の勧めとも読める。2節から、7つ8つに分散しておけば損害も少なくて済む、と読める。そう理解して営業マンの甘言で先物投資に手を出し、大変痛い目に遭った人がいる。ここは投資の勧めではない。隠れた善行や施しのことと読むのが、本筋だと言える。

②隠れた善行。パンは日常生活、水は川や海のこと。そんな所にパンを投げ、流せばどうなるか。無駄になる。それを承知で、惜しまず施すことが意味されている。言い換えれば、見返りを期待できない人や物にパンを与える行為。その時は何の効果も意味もないように思えても、多くの月日の後、報いを見出すだろう。続く2節には、次のような勧めがなされている。

七人と、八人とすら、分かち合っておけ 国にどのような災いが起こるか分かったものではない。決して見返りを期待せず、援助を必要としている何人もの人に施しをすること、それがパンを水に投げ、送り出す意味。上記①ではリスク回避の方法として、②では、別の意味、伝道につながる。それを歌ったのが、讃美歌536番。

1、報いを望まで 人に与えよ、こは主の賢き 御旨ならずや 水の上に落ちて流れし種も、いずこの岸にか生い立つものを。
2、浅き心もて ことをはからず、御旨のまにまに ひたすら励め風に折られしと見えし若木の、思わぬ木陰に 人もや宿さん。

以上から学べるコヘレトの知恵は、11章6節の勧め:朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。身を結ぶのはあれかこれか それとも両方なのか、分からないのだから。目先の利益で判断するのではなく、どうなるか分からない明日をも支配されている神を信じて、福音の種を蒔くこと。御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても励みなさい。(Ⅱテモテ4章2節)の聖句につながる。