これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、 エフタ、ダビデ、サムエル、預言者たちのことを語るなら、 時間が足りないでしょう。 (ヘブライ11章32節)
6人の名前が挙げられていますが、士師記との順序が逆になっています。バラクは士師記4、5章に、ギデンオンは6,7章に記されているからです。サムソンとエフタも順序が逆です。ダビデとサムエルもそうです。どうしてなのか、作者の意図を読み取りたい。「信仰によって」の表現もありませんが、信仰によって戦いに勝利したことが、6人に共通します。旧約の士師記とサムエル記を開いて、それを確認します。
ギデオンは、強敵ミィデアンと戦うのに32,000人いた兵を300人にまで減らすよう、神に命じられます。戦いにおいては兵や武器という数えられるものに頼りがちです。だから兵を減らし、神にだけ頼る信仰が求められました。信仰に依ってギデオンは勝利します。
バラクは、鉄の戦車を駆使する敵に対して、素手で立ち向かうかのような戦いをしましたが、主が先に立って戦ってくださったので勝利しました。
サムソンは、常に1人で敵と戦いました。たった1人でしたが、彼はペリシテ人をねじ伏せました。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった(士師記16章30節)と、記されています。自らの命を捨てて敵を倒したのです。神の人と呼ぶにはサムソンは極めて奔放でした。しかし、生まれつきの怪力によってではなく、祈りと神に頼る信仰によって勝利しました。
エフタは遊女の子どもで、ならず者を率いていました。民の長老から乞われてアンモン人との戦いを率いますが、その時、必死で神に勝利を祈り、願うあまり軽率な誓いを立てます。そして、独り娘を失います。そうした彼の話は、後々まで語り伝えられました。
ここまでが士師記に登場する4人です。続く巻物はサムエル記です。ダビデは羊飼いをしていました。この時代、ペリシテ人との戦いに明け暮れていました。少年ダビデは、信仰によって巨人ゴリアトを石投げ紐1つで倒します。嘲笑うゴリアトにダビデは、「主は救いを賜わるのに剣や槍を必要とはされない・・・、この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」(サムエル上17章47節)と言い放って、倒します。
サムエルは、母ハンナの信仰と祈りによって誕生します。ハンナの信仰が語り伝えられました。以上のことから、信仰によって不可能を可能にした6人です。