信仰によって、 娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たち を穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。 (ヘブライ11章31節)

アベルから始まった信仰者列伝の中に女性が、しかも娼婦をしていたラハブが取り上げられています。彼女はマタイ1章5節の系図にも、その名が残されています。当時の読者を驚かせたことでしょう。普通は取り上げないからですが、ここにも画期的な福音の響きが読み取れます。

冒頭の聖句はヨシュア記2章に由来します。エリコを攻略する前に敵の情報収集を目的に2人の斥候をヨシュアは送り出します。ラハブの家は城壁と一体化しており、色々な男が訪れました。ラハブは客を装う斥候の正体を見抜きますが、穏やかに迎え入れます。内心は、命を懸ける思いであったでしょう。エリコの王は2人の斥候に気づき、ラハブに引き渡すよう命じます。しかし、彼女は斥候を隠し通します。既に彼女は主なる神を信じていたからです。「主」という言葉を口にし、紅海の水を2つに分けた偉大な神だと表明しています(ヨシュア2章9~11節)。カナンの地の神は偶像に他ならないと分ったのです。色々な客から寝物語として聞いた情報が元だったのかも知れませんが、ラハブが信仰に至った経緯は謎です。不思議と言うほかありません。でも、それは私たちに於いても同じではないでしょうか。ラハブは自分たちを滅ぼさないよう頼み、そのためにラハブの家の窓に真っ赤なひもを結びつけるとの約束を交わします。真っ赤なひもは、過越の小羊の血を門柱に付けることを連想させます。そして、家から外に出ないことです。その通りにしてラハブは滅びから免れ、救われました。それだけではなく、主イエスの系図の中にその名が記されました。サルモンはラハブによってボアズを産みました。サルモンとは2人の斥候の1人だったと言われますが、有り得る話です。息子ボアズはルツを妻にしています。

最後に、ヘブライ書がラハブを敢えて選んだ意味を考えます。娼婦ラハブは取るに足りない小さな者です。神は、そんな小さな者を用いられます。そして、アブラハムやモーセと同列に置いています。ヤコブも「娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって義とされた」(2章25節)と記しています。信仰によって、命を懸けた行為は、後々まで語り伝えられています。