信仰によって、 エリコの城壁は、人々が周りを7日間 回った後、崩れ落ちました。 (ヘブライ11章30節)

イスラエル民族は、モーセに率いられてエジプトから約束の地を目指します。11日で到着できる距離なのに、不信仰と不従順により40年を要して、やっと辿り着きます。出発した時は80歳だったモーセは、120歳になっていました。そして、約束の地を見ながら生涯を終えました。後継者ヨシュアに引き継がれいよいよ約束の地に入ります。そこは、何もしないでも与えられる地ではなく、戦って勝ち取る地でした。その戦いは武器を用いたものではなく、信仰によって神が先に働かれる戦いでした。私たちの信仰生活も同じです。武力によらず、権力によらず、ただ神の霊によって戦うものだからです(ゼカリヤ4章6節)。

最初に攻略すべき町は、堅固な城壁と城門によって難攻不落とされたエリコでした。ヨシュア記6章に、その戦いの様子が記されています。武力は一切使わず城壁で囲まれた町の周囲を、7人の祭司が神の契約の箱を担いで1日1回、行進するだけでした。1週間そのように行進し、7日目には町の周りを7回まわり、すぐ祭司が角笛を吹き鳴らします。それに続いて民は鬨(とき)の声を上げます。すると城壁が音を立てて崩れ落ちたのです。民はその場から町に突入し、占領しました。何も城壁に圧力を加えてはいないのに、オー!という鬨の声で堅固な城壁が一挙に崩れたのです。

冒頭の聖句は、その時のことを「ヨシュアに命じられた神の言葉に従った民の信仰」それが城壁を崩したと述べています。すべては、信仰によってなされています。エリコの町の周りを行進するだけで勝利できるそれが神の約束だからです。そんなことをして何になる、と思った人がいたかも知れません。しかしヨシュアは信じました。戦いは神がなさるのだと。ヨシュアは神に従い、信仰によってエリコを占領しました。

ある土地を必要とした時、その土地の周りをヨシュア記と同じく1週間、祈りつ回ります。そして、既に得られた!と鬨の声を上げます。その土地に、今は教会堂が建てられています。取得するのは到底無理、と思われた土地でした。同じことが、今も起こります。同じように、主が先に立って戦って下さるからです。