信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、 王の命令を恐れなかったからです。(ヘブライ11章23節)
ヨセフの死後、300年の時を経てモーセが誕生しています。ですから、創世記と出エジプト記の間には長い年月が経過しているのです。ヤコブ一族70人がエジプトに移住し、次第に人口が増加し、やがてイスラエル民族にまで増えます。男だけで60万人ですから女性と子どもを含めると、200万人にもなります。新しい王は異民族のイスラエル人を敵視し始めます。もう、ヨセフの功績など忘れられています。エジプトの王は歴代ファラオと呼ばれ、個人名は表面には出てきません。
イスラエル人はヘブライ人と呼ばれ、エジプト人とは区別されていました。ナイル川の最下流に位置するゴシェンの地が居住域でした。モーセが生まれる頃には、奴隷として非常な苦役を課せられていました。エジプト王ファラオは、ヘブライ人がこれ以上増えるのを止めさせる政策として、男の子が生まれたら殺すことを命じました。恐るべき非人道的な政策ですが、実行に移されました。もしそれに従わなければ、親が殺害されました。モーセの両親は当然のことながら、わが子を殺しませんでした。冒頭の聖句がそれを示しています。この時のことを殉教者ステファノは語ります。
「この王は、私たち同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王妃が拾い上げ、自分の子として育てたのです」(使徒言行録7章19~21節)
殺害を命じた王の娘(王妃)の目にもモーセは美しく見え、憐れみを誘ったのに違いありません。王妃の心情は何も記されていませんが、そこに神の御手が働きました。それは両親の信仰の結果でもありました。当時の王には生殺与奪の権が与えられていましたから、王を恐れずに神を畏れる信仰は命懸けでした。もし、乳飲み子モーセが官憲に見つかり、殺害されていたら…でもそうはなりません。たとい悪魔がそれを狙っても神がそれを阻まれるからです。信仰は王を恐れず、神を畏れます。信仰に生きることは命懸けでした。