信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神の お告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を 救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定 め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。 (ヘブライ11章7節)
ノアは海から遠く離れた所に住んでいました。神はノアに「木で箱舟を造りなさい」と命じます。小舟ではなく、巨大な船です。三階建ての、何万トンもの船です。しかし、箱型をしていますから、前に進むには適していません。ただ浮かぶだけの船です。
近所の人たちは怪訝な面持ちで、ノアは水もない場所に巨大な船を造っているが、気が変になったのではないか、と噂しました。そんな中、ノアは息子3人と力を込めて船を造りました。神がそうせよ、と言われたからです。信仰は、神が言われたことに従うことです。ノアは神が言われた言葉をそのまま信じ、従いました。それが信仰ですが、私たちは頭で常識的に考えてしまい、神の言われる通りになることがなかなか信じられません。
まだ見ていない事柄とは、やがて必ず起きる大洪水による裁きです。創世記6~8章に記されています。そこに繰り返されているのが、「ノアは、すべて主が命じられたとおりにした」です。箱舟を造るのも、そこに清い動物だけでなく、清くない動物も指示されたとおりの数だけ導き入れたことも、すべて神の言われる通りにしています。従順に従っています。自分勝手な判断や考えを一切、加えていません。「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け」(箴言3章5,6節)です。
周囲の人々はノアが何年にも亘って語ったのに、誰一人信じませんでした。そして遂に、その時が来ました。雨がぽつりぽつりと降り始め、40日間、降り続きました。箱舟の戸を閉めたのは、ノアではなく主でした(創世記7章16節)。もう誰も中に入ることが出来ません。こうしてノアは、信じなかった人々と世界を罪に定めました。主イエスは言われました。「人の子が来るのは、ノアの時と同じだ」と(マタイ24章37節) かつてない状況をもたらしているコロナ禍は、主が再臨される前兆なのかどうか、「その日、その時は、誰も知らない」(同24:36)が、備えはしておきたい。