信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移さ れました。神が彼を移されたので、見えなくなったので す。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。 (ヘブライ11章5節)

創世記5章に、エノクの事が記されています。それを元にして、上記のように記されました。彼の信仰はどのようなものだったのでしょうか。

聖書の中で、死を経験しないまま天に移されたのはエノクとエリヤの2人だけです。しかし、家族や友人らは行方不明の彼に一時、顔を見合わせたでしょう。どこへ行ったのだろう、と。創世記5章には、エノクは365年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった、とあります。みんなの見ている前で、天に移されたのでしょうか。忽然と姿が消えたのかも知れません。でも、家族はすぐに神様が取り上げられたのだと分かったのでしょう。携え挙げられたというべきかも知れません。いつも神と共に歩み、神に愛され喜ばれていたからです。

彼の信仰は、65歳になって初めて子供に恵まれたときに始まりました。それから300年間、神と共に歩んだのです。それ以上の詳しいことは、何も記されていません。エノクは同時代の人々が900歳まで生きたことと較べると、三分の一の短さです。でも、アダムの子孫の中で、彼だけが「死んだ」と書かれていないのです。いなくなった、とあります。それは天に移されたからです。短命であっても、何と幸いな生涯だったことでしょう。その秘訣は信仰にありました。

その信仰は、神と共に歩むもので、「常に主を覚えてあなたの道を歩け」(箴言3章5,6節)に表されています。何をするのでも、主に尋ねながら・聞きながらすることです。これは出来るようで、出来ないものです。それは自分で判断して、すぐ行動してしまうからです。私は常にその失敗をしています。すぐ神に聴こうとしていないからです。私の心が常に神と一緒ではない証拠です。自分の分別に頼ってしまうのです。エノクが謙遜であったこと、常に神に頼って聴こうとしたこと、そこに彼の信仰があります。こうした信仰がなければ、神に喜ばれることはできません(11:6)。エノクが居なくなった時、神が彼を天へと移されたと皆が異口同音に言い、感謝したことが想像できます。