わたしの正しい者は信仰によって生きる。 (ヘブライ10章38節)

信仰によって生きることこそ、私たちの使命(ミッション)であり、目標です。聖書の中心主題も、そこにあります。ところで、信仰は受け取るもの、いただくものです。Ⅱペトロ1章1節に「…イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ」とある通りです。信仰は尊いものです。それは、命に関する事柄だからです。私たち人間がどんなに頑張っても、命そのものを創り出すことは出来ません。それと同じように、信仰も自分で掴(つか)み取るものではありません。あくまでも恵みとして、受け取るものです。その命とは永遠の命、即ち、永遠なる神の命のことです。それを神は、イエス・キリストを通して私たちに与えてくださるし、既に与えてくださったのです。 その命によって生きるのが、私たちの信仰です。

信仰によって生きる生き方と、信仰によらない生き方には違いがあります。信仰に「よって」とは、信仰に依り頼んで生きること、また、信仰を拠り所として生きることです。信仰=神への信頼ですから、自分に依り頼んだり、拠り所にはしない生き方です。その違いが明白に現れるのが、死に向かい合った時です。

今から100年前、タイタニック号が沈没し多くの人が亡くなりました。ジョン・ハーパーは6歳の娘と乗船していました。彼は主イエスを愛し、皆にイエスを知って欲しいと願う人でした。船内が浸水すると、彼は幼い娘を救命ボートに乗せ、自らは人命救助のため混乱する船内に戻りました。「子供、女性、イエスを知らない人を救命船に」と叫びながら、救命胴衣を配り、自分の救命胴衣も主を知らない若者に譲りましたハーパーは、他の人が助かるために、自らのいのちを惜しまなかったのです。彼から救命胴衣を渡されて助かった若者は、すぐ教会に行きイエスを信じました。そして、ハーパーのことを証ししたのです。これは英雄的な生き方に思えますが、彼にはそんな意識は毛頭ありませんでした。主イエスが自ら命を捨てて、私たちを救ってくださったことに対する当然の応答と受け取っていたに違いありません。そうしたことを受けて信仰によって生きる生き方について、ヘブライ11章から読み、味わって行こうと思っています。