13、よみがえり、天に昇り・・・ (使徒信条)
主イエスは3日目によみがえられ、40日にわたって弟子たちに現れました。それから昇天されました。その事は使徒言行録に、次のように記されています。
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。・・・
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に挙げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 (使徒言行録1章3,9節)
今年の昇天日は、復活日から数えて40日目になる5月9日(木)です。その時の情景を思い浮かべようとするのですが、理解を超えています。主イエスは、クリスマスの日に天から降られ、神の子でありながら人の子として生まれてくださった。すべての救いの業を全うされて、父である神の御許にお帰りになった。遠い天に行ってしまわれた。それなのに世の終わりまで、私はいつもあなたがたと共にいる、と言われたのです。それは、霊的な存在者に変化されたからです。イスラエルという特定の場所にだけ限定されないお方になられたのです。主は、どこにでもおられる遍在のキリストとなられたからです。それが主の昇天の意味です。ユダヤ人も異邦人も区別なく、世界のどこにすんでいようと関係なく、どこででも出会えるのです。
ある牧師が洗礼を希望される方に、「今イエスさまはどこにおられますか」と、質問された。どうして、そのようなことを質問されたのか。このことをどう理解するかが、とても大切だからです。主イエスが今どこにおられるのか、さっぱり分からないままでは、信仰にはならない。それは、信仰はイエスにお会いすることだからです。Ⅰペトロ1章8節に「あなたがたはキリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており」とあります。昇天前の肉体を持った主イエスを見たことがないとしても、それでも愛し、信じているのは、キリストが昇天されても、すぐそばにおられると信じられるからです。私はこれまで、主の昇天を深く考えたことがありませんでした。天国の門を大きく開き、陰府にいた旧約の聖徒たちを引き上げたのが昇天されたキリストでした。喜びが湧いてきます。