11、死にて葬られ、陰府にくだり・・(使徒信条)
イエス・キリストは十字架上で死なれ、すぐに葬られました。そして、三日目に死から復活されました。その間、死者の居る陰府にくだられました。下られたと言うのは、陰府が地の底にあると考えられたからです。旧約聖書では、陰府は光の無い暗闇でした。祝福の内に長寿を全うしたアブラハムさえ陰府にいます。天国に迎えられる、との考えは皆無です。死者の復活という教えもありませんでした。そこに画期的な変化をもたらしたのが、主イエスの復活ですが、その前に陰府くだりが必要でした。
前回、死は魔王(破滅と恐怖の王)だと述べましたが、そこにイエス・キリストが介在されると一変します。死の床にあったある方が「死は恐ろしいですか」と聞かれ、「いいえ。自分のいる場所は変わりますが、私と一緒にいてくださる同伴者は変わりません」と言いました。これこそ勝利です。死と、死がもたらす恐れへの勝利です。そして、使徒信条が、イエスの復活を宣言する前に、主の陰府くだりを記すのは、この勝利への道を指し示すためです。
キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。・・・そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。 (Ⅰペトロ3章18-19節)
主イエスは陰府にくだられ、そこにいる霊たちに宣教されたとあります。捕らわれていた霊とは、信じないまま陰府にくだった人たちです。ノアの時代に洪水で滅びた人々です。この聖句を根拠に、死後にも救いのチャンスがあると説く人がいます。では、キリストは何のために、陰府にくだられたのでしょうか。私たちと同じ死を、キリストも味わわれたことです。そして、十字架上で悔い改めた一人の強盗のために陰府をパラダイス(楽園=天国)に変えられたのです(ルカ23章43節)。この時から、信じて死の眠りに就いた者は、直ちに天国へと引き上げられるように変えられたのです。そのために、キリストは陰府に下られたのです。よみがえりは、陰府の国より帰ると言い直せます。十字架の死による罪の贖いがあってこその、大きな変化です。