それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、 両親に仕えてお暮しになった。……イエスは知恵が増し、
背丈も伸び、神と人とに愛された。 (ルカ2章51、52節)
イエス・キリストは神が人となられたお方ですが、上記の聖句のように「両親に仕えて」お育ちになりました。クリスマスに救い主として降誕されたイエス様は、私たちと同じく普通の子どもとして成長されたのです。特別な神童としてではなく、ごくごく普通の子どもでした。養父ヨセフから大工仕事を習い、弟妹たちの世話もしたでしょう。福音書には幼いイエスに関する記録が殆どありませんが、ただルカだけが12歳の時の出来事を書き記しています(2章41~52節)。
主イエスはご自身が神であっても、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10章45節)と言われました。従順を学び、謙遜に仕える姿勢、それがイエス・キリストの全生涯に見られます。だから、神と人とに愛された子どもでした。かつて、 11月の幼児祝福式で、冒頭の聖句を読み、幼子たちの祝福を祈りました。心からの願いだったからです。
ベツレヘムで生まれたイエスは、その後、律法に定められた日、両親によってエルサレム神殿で主に献げられました(いわゆる献児式)。その時、神殿の境内にいたシメオンから祝福を受け、更に、アンナという女預言者からの讃美をも受けました。彼女は84歳になっていて、神殿を離れずに断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた女性でした(ルカ2章25~38節)。それに続けてルカは、「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」と記しています(2章39、40節)。勿論、こうしたことを行ったのは両親であるヨセフとマリアだったのですが、二人を通して、律法の規定を完全に順守されたことが分かります。私たちは律法の規定を守り切れない罪人ですが、その罪を贖うため完全に守り通されたのです。そして、私たちの身代わりとなられたのです。
使徒信条では、誕生からすぐに十字架の死へと移っていますが、そこに至るまでの33年半の地上のご生涯について、次回も、見て行きたいと思います。