7、我は、その独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。 (使徒信条)

聖書の示す神は三位一体で、父なる神・子なるキリスト・聖霊なる神です。父・子・御霊と呼ばれます。イエス・キリストは歴史上の人物です。年号で使われる西暦は、イエスの誕生年を境にして、紀元前BC(キリスト以前)と紀元後AD(主の年)に分けられています。それほどに大きな意味があるのが、主イエスの誕生です。学校の教科書には、四大聖人の一人としてイエスキリストが描かれています。人として取り上げられていますが、他の聖人との決定的な違いは、死より復活したことです。それは、イエスが単なる人間ではなく神の独り子=神であったことをも示しています。

イエスは神が付けた名前で、人を罪から救う使命が与えられていたのです。イエスという名前は、当時、多くの人に付けられていました。バラバという犯罪者もイエス・バラバでした。キリストは救い主という意味です。ですから、イエスは救い主という意味で、イエス・キリストと呼ばれました。それは、「私はイエスこそが救い主であると信じます」と告白する、信仰の言い表しでもありました。イエスとキリストが結び合わされたお方は、他には誰もいません。冒頭の7の口語訳は、私は、その独り子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。でも、信じるに至った過程は、人さまざまです。さまざまですが、信じた人は皆、今も生きておられる主イエスと出会っています。だから、信じることができるのです。

イエス・キリストが、どのような人であったかを、見事に描いた讃美歌が「馬槽(まぶね)の中に」です。
ここに示されている主イエスこそ、神であるのに社会の底辺までへりくだられた救い主です。孤独な人の友となり、
惜しみなくご自身のすべてを与え尽くされました。そして、自らを十字架にかけた敵をも赦されたのです。

1馬槽の中に産声上げ 大工の家に人となりて
貧しき憂い 生くる悩み つぶさになめし この人を見よ

2食するひまも打ち忘れて 虐げられし人を訪ね
友なき者の友となりて 心砕きし この人を見よ

3すべてのものを与えし末 死のほか何も報いられで
十字架の上に上げられつつ 敵を赦ししこの人を見よ

4この人を見よ この人にぞ こよなき愛は現れたる
この人を見よ この人こそ 人となりたる生ける神なれ
(作詞:由木康)