イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方に進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕(つか)まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 (マタイ14章29~31節)

今回、日本中そして世界中をあっという間に席巻した新型コロナウイルスの脅威の中で、私たちはペトロと同じような、貴重な体験をしたと思うので少しお話してみたい。

ペトロは、主が「来なさい」と言われたので、舟を降り水の上を歩き始めた。これは本当に素晴らしいことで、この時ペトロは主を完全に信頼していたのですが、しかし途中で、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけた。つまりこの時、ペトロは「主への信頼」よりも「強い風への恐怖」が勝ってしまったのです。

私たち同信会も、コロナの感染が始まった頃は、主の日ごとの礼拝で「コロナから守られますように」という祈りがずっと続き、私たちも主に守られているから大丈夫だと強く思っていたのですが、その後、全国で感染者が増え続けると、「ひょっとすると私たちの中からも感染者が出るのでは」という不安や恐れがどんどん大きくなっていきました。しかし私たちにとって幸いであったのは、そんな不安,恐れの中でも、毎週の礼拝の中で「主よ。守ってください」という祈りが途絶えることがなかったことです。そしてその祈りと共に、教会内で若い人たちを中心にして、マスクの完全着用、パン裂きのパン葡萄酒の配り方の改善、その他ありとあらゆる感染防止のための対策が次々に提案され、実行されていきました。そしてさらに驚いたことは、私など全く想像もしていなかった、コロナに対する緊急事態宣言の中でも礼拝の灯を消さないようにと、各家庭を結んだライブ配信による礼拝まで実現したのです。私は今、つくづく思うのは、「ペトロも、主が『来なさい』と言われたので、波の上を歩いて行った。主はその信仰を良しとし、ペトロが沈みかけるとすぐに、その御手をもってペトロを助けた。」とある通り、私たちも「主よ、守ってください」という絶え間のない祈りによって、全てのことが主の御心、主の導きのもとになされてきたと思うのです。

私たち同信会も今度のコロナ禍の中で得たこの貴重な体験を決して忘れることなく、これからも祈りながら皆で力を合わせていくなら、主は必ずその大能の御手をもって助け導いてくださる、このことを確信させられ、感謝に堪えません (T・M)