テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。(Ⅰコリント16章10節)

上記の聖句からは、若い伝道者テモテへの細かな配慮が見られます。続けて、「だれも彼をないがしろにしてはならない。(テモテが)わたしのところに来る時には安心して来られるように送り出してください」(11節)と書いています。伝道は、一人でする働きではないからです。その上で、目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く行きなさい。何事も愛をもって行いなさい(1314節)。信仰に基づいて立つ=信仰に立つこと。それには、目を覚ましている必要があります。夜の見張りのようにです。私たちは霊的にも、すぐ眠ってしまい易いからです。それを自覚し、雄々しく強く生きる。そして、キリストの愛をもってすべてのことを行いたいものです。

諺に「徳は孤ならず、必ず隣あり」と、あります。使徒パウロは一人で伝道活動したのではありません。パウロの周りには、ここに名前が挙げられている人々や、アジア州にある諸教会との交わりと援助がありました。そして、そうした兄弟姉妹たちに対して、前述のテモテやアポロへの細やかな気配りなされています。また、ステファナが家族全員で、聖徒たちに労を惜しまず、世話をしたことを述べています。そして、「どうか、あなたがたもこの人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください」と勧めています。更に「ステファナ、フォルトナト、アカイコが来てくれたので、大変うれしく思っています。この人たちは、あなたがたのいないときに、代わりを務めてくれました。わたしとあなたがたとを元気づけてくれたのです。このような人たちを重んじなさい」(17、18節)と記しています。

パウロが共に働く者たちに細やかな配慮を払っていたことが 、この箇所から分かります。彼の伝道旅行が祝され、多くの人が救われた背後に、こうした思いやりがあったことが読み取れます。思いやりや配慮の源はキリストの愛です。同じことが今の私たちにも当てはまります。伝道の方法・方策を論じるよりも、一緒に労する兄弟姉妹間に愛と配慮が届いているかが重要です。