愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、 高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。(Ⅰコリント1346節)

最高の道(生き方)は愛に満ちています。誰もがそれを願います。その愛の定義が冒頭の聖句です。これを分析しますと、肯定する表現が3つ、否定する表現が8つ、まとめとしての4つの「すべて」となります。

肯定語:愛は忍耐強い(相手への忍耐と寛容)、情け深い(親切)、真実を喜ぶ、の3つ。否定語は、ねたまない、自慢しない、高ぶらない、礼(礼儀)を失せず、自分(だけ)の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義(不正や人の不幸)を喜ばない、の8つです。そして、まとめとしての次の4つ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える(13章7節)と書かれています。「すべて」なのです。愛は、すべてを忍び・信じ・望み・耐える。この愛は一体、どのような愛でしょうか?

以上の4~7節を一度読んで、この愛が自分にあるかどうかを考え、愛を私に置き換えて読んでみます。私は忍耐強い?(いいえ、そうではありません)。続けて、二度目には、主イエスがこの愛をもって、私たちを愛してくださったこと、十字架の愛を思って読みます。三度目に読んで、キリストを信じる者の上に、聖霊によってこの愛が注がれていることを信じます。私にはこのような愛が無いこと、それにもかかわらず信じる故に、惜しみなく愛を注いで下さることを知ります。

人は誰でも、愛されて初めて人を愛することができます。愛されることで人を愛することを学ぶのです。戦争孤児となった赤ちゃんを施設で育てた米国の報告によれば、栄養と衛生面には十分配慮されても、誰にも愛されない環境で育てられたため、三分の一の乳幼児が死んだとあります。人はパンだけで生きるのではなく、愛によって生きるのです。コロナ禍で人と人との接触が禁じられ、独りで黙って食事する黙食というかつてなかった言葉が出て来ました。対面授業が減ったり、一緒にわいわい騒ぐこともなくなり、大学生の自殺が経済苦と併せて増加しているとのこと。これまではあった何気ない会話が人を救っていたと気づきます。キリストの愛が今こそ必要とされているのです。