女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。
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頭に物をかぶるべきです。 (Ⅰコリント11章5,6節)

  集会の秩序について述べる文脈で、女性が頭に被り物(ベール)を付けることが取り上げられています。カトリック教会と兄弟たち(ブレザレン)の群れでは、冒頭の聖句から姉妹方はベールを着用しました。礼拝に於いて、なおかつ皆の前で立って祈ったり、預言したりする場合は被り物を付けるよう言われています。冒頭の聖句の・・・・・には、次の聖句が書かれています。

それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら(頭に物をかぶるべきです)。~すべき、と強い言い方がされています。私たちの集会ではかぶり物の習慣が最初からありませんが、その原理を守ることは重要で必要です。男と女、兄弟と姉妹に於ける秩序と原理です。それが、次の御言葉です。ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭(かしら)はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。(11章3節) 

男が女より偉いのではありませんし、男尊女卑では決してありません。創造の秩序が述べられています。アダムとエバの関係を、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし(アダムの肋骨からエバが造られた)、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られた(アダムの助け手として造られた)だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです(810節)。礼拝の場には天使も同席しているのです。その天使のためにも頭にベールを付ける必要があります。以上のことから、私たちは女性の被り物に関して、どう判断すべきでしょうか。 いずれにせよ、主においては、男なしには女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。(1113節)「自分で判断せよ」と述べられています。実際面での適用では、簡単でない面があるからかも知れません。これはコリント教会特有の問題とされ、殆どの教会では女性は被り物を付けていないのが現状です。私たちはどう対応すべきでしょうか。