知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたは もはや自分自身のものではないのです。 (Ⅰコリント619節)

 知らないのですか、と3回(15節16節と上記)問いかけています。すべて、自分の体に関することです。
①自分の体は、キリストの体の一部分であること。
②性欲を満たしても、娼婦と交われば1つ体となること。
③キリストを信じる者の体は、聖霊の宮(神殿)。

そんなことも知らないのですか、と言われたらどうでしょう。馬鹿にされたように思います。私たちの周りには、知っていた方が良いとしても、必ずしも重要ではない知識が多くあります。それらはトリビア(些細な知識)と呼ばれ、生きていく上で特段の役に立たない知識、しかし、つい人に教えたくなってしまう知識です。NHK番組「チコちゃんに叱られる」で取り上げられる問いも、それに近いと思われます。では、上記の知識はどうでしょうか。生き方に関わる知識です。

パウロは「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と書いています(フィリピ1章9,10節)。愛が豊かになり本当に重要なことが何であるかを見分ける力と知識です。愛が増し加わる知識で、神と人への愛です。何事も損得利益からよりも、神と人への愛を判断基準にすべきだからです。

自分の体は、神からいただいた聖霊が宿っている神殿であり、もはや自分自身のものではないことを知ることです。それを知れば上記②は行えません。この知識は生き方を左右する程に重要です。だから3回も、知らないのか、と繰り返されているのです。そして、「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい」(20節)と述べています。買い取る=贖いで、代価はイエス・キリストの命です。あなたがたはもはや自分自身のものではなく、主のものです。そして、キリストがあなたがたの内に生きて働かれているのです。その事実と現実を知らないのか、忘れているのか。そう問いかけているのです。パウロは私たちにも同じ問いかけをしているのです。この重要な事実を知らないのか、と。