そのころわたしダニエルは、三週間にわたる嘆きの祈りをしていた。(ダニエル10章2節)

ダニエルが献げていた祈りは、嘆きの祈り(嘆願の祈り)です。自分の国に関する訴えでした。ダニエルは、彼自身とその民イスラエルの罪を告白し、肉も酒も断って、神に祈っていました。その期間は三週間でした。三週間は21日。祈り始めてから21日が経ったとき、やっと変化が現れました。それまでは、祈っても祈っても何の返答もありませんでした。私たちにも同じ経験をします。3週間が、大きな分かれ目です。

チグリス河の畔に立っていると、ダニエルは、この世の者とは思えない人が立っているのを見ます。すると力が抜け、意識を失い、地に倒れます。突然、1つの手がダニエルを抱き上げ、「愛されている者ダニエルよ」と語りかけます。続く聖句を引用します。
ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た。ペルシア王国の天使長が21日間わたしに抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれたので……(ダニエル10章12,13節)
当時それぞれの国には天使長が居て、国を守っていると考えられていました。守護神に近い考えです。ダニエルが祈っても、何の変化も応答も無かったのは、敵国の天使長が阻んでいたからです。そのことが記されている興味深い個所です。上記の聖句は、ダニエルの祈りを神に届ける力のある天使長の言葉です。21日間ペルシアの天使長の抵抗に遭って、祈りを届けられなかった、と。それでもダニエルが、22日間以上も祈り続けたので、彼の祈りは神に届けられたのです。

ダニエル書から学べるのは、最低でも3週間は祈り続ける必要があるという事です。人の祈りを神に届ける天使たちの働きが書かれていますが、現代人は天使をお話しの世界の存在と受け取っています。しかし、私たちにも同じ原理が適用できます。今も、神は天使を遣わされているからです。目には見えない世界にも戦いがあること、だから、祈りがすぐには聞き入れられないのです。3週間は21日。その期間、継続できたら習慣として身につきます。祈り続ける習慣が身につくには3週間は必要です。反対に悪い習慣は、すぐ身につきます。そして、なかなか止められないのです。