イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり…。      (黙示録1章1節)

ここに「すぐにも」とあります。時間的なすぐに、と理解してしまいます。黙示録が書かれたのは二千年以上も前です。そうすると、すぐにも起こるはずと言われているが、そのようになっていないではないか、と思ってしまいます。ヨハネは黙示録の最後の章にも同じ「すぐに」を、3回も繰り返しています。見よ、わたしはすぐに来る(同上227,1220節)、と。私たちは時間的に受け取り、それは西暦何年のことか、と問います。12使徒たちも同じ問いかけをしました。それに対して主イエスは、「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」(使徒1章7節)と、教えられました。そうしたことを鑑みますと、すぐに=突然に、思いがけない時に、という意味だと分かります。主イエスは、ノアの大洪水と世の終末を関連づけて語り、だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。(マタイ2444節)と警告されています。ペトロは「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます」(Ⅱぺトロ3章9,10節)と書いています。何と、主の日を盗人に例えているのです。

今年は西暦2023年です。地球を取り巻く環境は最悪の状態にまで追い詰められています。異常気象によって、雨や嵐が襲いかかっています。被害の状況に心を痛めても、雨や高温さをコントロールできません。それに加えて、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイ24章12節)状況が生じています。人間関係に欠かせない愛が冷え、殺伐とした世相になっています。戦争が続き、多くの命が奪われています。このような昨今、私たちは目を覚まして、「主よ、一日も早く、あなたの御国を来たらせてください」と祈ります。主は繰り返し言われます。恐れないように、惑わされないように、そして、思いがけに時、突然に来られても良いように、備えをしていなさい、と。