ヒゼキヤ王は家臣たちを預言者イザヤのもとに遣わし、アッシリア王の高官ラブシャケから脅迫されている現状と、その苦悩を告げ、「ここに残っている者のために祈ってほしい」と依頼した。    (列王記下191~4節の要約) 

旧約の預言書は難しく思われ、余り読まれません。それは残念なことです。そこで、預言書を読む手助けになればと願って記しています。今回は、預言者イザヤに焦点を当てます。彼は仕えていたヒゼキヤ王から「祈ってほしい」と、依頼されます。預言者の務めは神の言葉を語り、王や民のために祈ることでした。王の家臣たちにイザヤは次のように語りました。「主なる神はこう言われる。『私を冒瀆する言葉を聞いても恐れてはならない。私は彼の中に霊を送り、アッシリアの王を引き返させ、自国で剣にかけさせる』と」

イザヤは祈りました。そして、神からの言葉を語ります。その結果、敵陣に驚くべきことが起きました。そのことが列王記下19章35~37節(イザヤ37章36~38節も同文)に記されています。ヒゼキヤは祈り、主の御使いが遣わされます。すると、アッシリアの陣地に疫病が発生し、18万5千人が急死します。更に、アッシリア王が2人の息子に剣で殺害されます。すべてはイザヤが預言した通りになり、国は救われたのです(列王記下19章7節)。神が御手をもって、敵を追い払ってくださったのです。奇跡が起きたのです。

預言者にはそれぞれの時代背景があります。仕えた王もそれぞれ異なります。イザヤは悪王アハズだけでなく、善王ヒゼキアにも仕えました。100年後の預言者エレミヤはユダ王国最後の王たち(ヨシヤとその子ゼデキヤ王)に仕えました。それぞれ国難があり、大国の脅威とどう対峙すべきかが問われました。そのような時、預言者が求められました。神の言葉と祈りに依り頼みました。これはいつの時代、どこの国においても同じです。そして、前述したイザヤの時代の成功体験が語り伝えられ、100年経たエレミヤの時代にも同じことが起きると信じられていました。だからゼデキヤ王は、大国バビロンに反旗を翻しました。エレミヤがそれと同じことは起きないと語っても、信じませんでした。愚かな判断でした。それが、同じ預言者であっても、イザヤとエレミヤとの大きな違いでした。 そのイザヤも、王権がヒゼキヤから息子マナセに移ると、のこぎりで殺害され、殉教しているのです。